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【アラベスク】  第4章 男ゴコロ



第1節 女の理不尽 [12]




 あの唐渓という世界の中では、貪欲(どんよく)にでも地位と立場と権力を求めなければ、人並み程度の生活もできない。
 中等部と高等部を持つ唐渓。
 何の後ろ盾も持たない緩が、中学入学当時にどれほどの屈辱を味わったのか、この男は何も知らないのだ。
「お兄さんには、関係のないことですわ」
「なら、俺が美鶴とどうなろうと、お前には関係のないことだよな」
「あなたがっ!」
 床に向かって吐き捨てる。
「お兄さんが不甲斐ないから、山脇先輩が大迫さんのような人に惑わされるのですわっ」
「うっせーよっ! 好きなら好きで、瑠駆真に言やぁいいじゃねぇ〜か。別に瑠駆真と美鶴がくっついてるってワケじゃねぇだろっ!」
 喚き散らす義妹へ剣呑な一瞥を投げ、ゴンッとドア枠を拳で叩く。
「好きにしろよ。廿楽の恋路に関わる気はねぇよ。だがな、俺のやることにいちいち口を出すな」
 ビッと指を立てて鼻ズラを差す。
「お前にはかんけーねーよ」
 だが緩は引き下がらない。引き下がれるワケがない。
 廿楽は緩に期待している。
 聡と美鶴が接近すれば、瑠駆真を引き寄せるチャンスも生まれる。
 義理とは言え妹として、聡に助力できる一番近い存在として、廿楽は緩に期待している。
 だが期待とは、大きければ大きいほど、巨大な重圧をも伴う。
 このまま瑠駆真を引き寄せるチャンスが廿楽に巡ってこなければ、たとえ聡と美鶴の関係がどうであれ、緩へ向けた期待が失望に変わる。

 失望されれば、突き放される。

 廿楽という存在を失えば、緩は学校内での立場が下がる。
 なんとしても廿楽の期待には答えなければ。とにもかくにも、聡と大迫美鶴を近づけなければならない。
 だが、聡は嫌いだ。何の努力もせずに安寧な学生生活を送っている義兄の恋路の手助けなど、考えただけでも吐き気がする。
 大迫美鶴に聡を売り込もうにも、どこをどう宣伝すれば良いのかわからない。聡の長所を見出せない緩には無理というもの。
 だから結局、聡を叱咤・罵倒し、奮起させるという方法しか、取ることができない。
「お兄さんが不甲斐ないないから、こんなことに―――」
 再びそんな言葉を口にする。
「俺はかんけーねーって、言ってるだろっ」
 くだらねぇ〜な
「バッカじゃねぇ〜の」
 口元を歪めて笑った時だった。
「そんな言い方やめなさいっ」
 激しい怒声に緩は振り返り、聡は視線をあげる。階段を駆け上がってきた母が、息を切らせながら間に入る。
「何を怒鳴りあっているのかと思えばっ」
 緩を背中に庇うようにして、聡と対峙する。
「緩ちゃんに向かって、バカとはなんですかっ 謝りなさいっ」
 どこから聞いていたのだろうか?
「緩ちゃん、ごめんなさい」
 母は、事の次第を聞くこともなく緩へ軽く頭を下げる。
 緩が不機嫌そうに顔を背け、自室を守るように入り口に立ち塞がると、再び聡と向かい合う。
「聡っ! 緩ちゃんをいじめるのはやめなさいって、何度言えばわかるのっ」
 緩と聡が言い合うたびに、母は聡を責める。
 わかっている。
 母はなんとか緩との関係を良好にしたいのだ。
 それはわかっている。
 別に、仕方ないさ。
「謝りなさいっ」
 謝らなければならないようなコトはしていない。手をあげたというのなら、それは緩の方だ。

 だが――――

 何を言っても、きっと言い訳にしかならない。
 黙り込む聡の態度を、母の育代(いくよ)は睨み上げる。
「だいたいねぇ あんたって子は朝から晩まで部屋に閉じこもってっ ちゃんと勉強してるのっ! この間のテストはどうだったの? 数学、今度は大丈夫でしょうねぇ? 夏休み前のテストみたいに変な成績取ったら、承知しないからねっ!」
 堰を切ったようにとめどなく吐きかけられる叱咤の波。
「緩ちゃんはねぇ、全教科ちゃんと――」
 謝りたくはないが、かと言って反論するコトにも諦め、ただむっつりと黙って自室へ戻ろうとした時だった。

 ―――――――っ!

「人の話は、最後まで聞きなさいっ!」
 緩のそれもだったが、別に痛かったワケではない。

 ただ、納得できなかったのだ。

 頬を叩かれて一瞬硬直し、次の瞬間には二人を押し退けていた。
 そのまま階段をかけおり、玄関を飛び出す。
「聡っ―――」
 遠くで叫ぶ母の声などに、申し訳ないという気持ちは微塵も湧かなかった。







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